2014年4月28日

雇用保険受給を終えて

昨年2013年10月からの職安通いが,今日の再就職手当受給申請で,終わった.長い7ヶ月だった.

今時は労働局の出先機関である公共職業安定所のことは「ハローワーク」というらしいが,昔から「職安」(しょくあん)という略称があるので,それに従うことにする.居住地の最寄りの職安は大阪労働局の池田公共職業安定所であり,今回はこの職安に7ヶ月お世話になった.職員の方々は皆丁寧に応対してくださり,技術士事務所の開業に伴う諸手続の相談にも細かく答えていただいた.

職安に行った理由,そして失業認定の実情

一般に職安に行く理由は3つあって,(1)仕事探し,(2)雇用保険給付金受給資格の確認(通称「失業認定」),(3)雇用者としての各種手続き,というのが主なものだろう.人を雇う事業主ならば(3)が主な目的だろうが,私の場合は2013年9月末日の会社都合による離職の結果の失業,そしてそれに伴う雇用保険給付金の受給,つまり(2)が主たる理由だった.

今年で社会人になってから24年になるが,最初の仕事に就職した1990年4月から前職を離職した2013年9月までの23年6ヶ月の間,雇用保険については応分の負担をしていた.だから雇用保険給付金の受給にあたっては何の問題もなかった.

雇用保険給付金は非課税であるため,失業者にとっては貴重な収入源である.しかし,その財源は国庫金であり,当然のことながらその給付を受けるには厳しい審査がある.詳細は省略するが,基本的に雇用保険給付金の受給には通常4週間ごとに設定される「失業認定日」に「失業の状態にあることの確認」をする必要があり,そのために職安に出頭しなくてはならない.この間に再就職が決まったり,開業の準備を始めるなどの事実が発生すれば,その時点で受給資格を失う.また,働いたり無給の手伝いをした場合も,正確に申告しなければならない.これらを怠った場合は,不正受給とみなされ,受給資格の剥奪だけでなく,すでに受給した金額の3倍を返納しなければならず,刑事告訴の対象となることもある.

そして失業の状態であることを証明するには,会社都合の場合でも,4週間の間に最低2回「仕事探しの活動」を行う必要がある.(自己都合の場合はさらに条件が厳しくなるが詳細は省略する.)この活動には職安あるいは同等の機関(人材銀行,ハローワークプラザなど)に出向いて求人情報検索や職業相談を行うこと,職能に直接関係する国家試験の受験,求人への応募(面接)なども含まれる.私の場合も,失業認定期間中に求人に応募したり(詳細は守秘義務があるので控える),無線従事者国家試験の受験などいろいろな就職活動を行ったが,そう多く求人があるわけでもないので,かなりの時間を求人情報検索に費した.それでも残念ながら自分に合いそうな求人は見つからなかった.

まあ自分の年齢が当時48歳という高齢であったこと,そしてかなり特殊な職能という事情を考えれば,このような結果になったのは当然の帰結かもしれない.

求人検索の実情

求人情報といっても,北大阪の職安から検索できる求人のほとんどは,IT関連ならSEかプログラマで,どちらかといえば体力勝負の仕事がほとんどであったように思う.東京の求人も検索したりもしてみたが,北大阪ではまずJavaかC/C++の仕事しかなく,ごくたまにRubyの仕事が出てくるぐらいであった.インフラエンジニア系の仕事もないことはなかったが,決して多いとはいえなかったように思う.残念ながらPythonやErlang,FreeBSDというキーワードにお目にかかることはなかった.それでも北大阪は梅田や大阪市北部という比較的IT産業の集積している地域を含むため,全国的にみればまだマシな状況なのかもしれない.

まあ雇用主としては,あまりメンドクサイことを言わずに黙って働いてくれる労働者が欲しいのだろうと思う.職安に委託されるような求人の案件は,そういう意味ではごく平均的な日本のIT産業の縮図なのかもしれない.

職安で見る風景

離職後職安に最初に出頭すると,初回講習を受けることになる.この講習では,雇用保険給付金の受給に必要な各種条件と手続の概要,そして不正受給に関する罰則の詳細についての説明を受ける.この時私が驚いたのは,幼い子供を連れた女性の多さであった.職安には託児所がないため,講習を行う職員の方はかなり苦労されていたように思う.もっとも,本当に苦労していたのは,子供をあやしながら講習を受けなければならなかった女性達の方だろう.後で知人にこの話をしたら,母子家庭で生活のやりくりが大変なのだろうということだった.

ただ,雇用保険給付金受給のために職安に来ている人達には,極端な悲壮感は感じられない.さまざまな職業や年齢の人達が集まっているのは事実だが,皆普通の格好をして,普通の応対ができる人達ばかりである.言い換えれば,さらに厳しい状況にある人達は,雇用保険給付金の受給資格すら持っていないのであろうと推察せざるを得ない.そう思うと,慄然とせざるを得なかった.もっとも,そういう今の私も,自営業を開業しただけのことであって,雇用保険にかかる費用は納付しておらず,もう雇用保険給付金を受けることはできない.(再度雇用保険に加入している雇用主の下で就職して被雇用者になれば話は別だが.)

ともあれ,この7ヶ月間,自分の状況をいやがおうでも月に1度は認識させられたわけで,それだけでも実はかなり強力な「就職支援」制度になっているのではないかと思う.その意味で,自分は幸運だったのかもしれない.最近の日本でのブラック企業による雇用保険を含む社会保険に関する義務の不履行によって働いている社員も雇用保険の恩恵を受けられなくなる事態や,海外,特に米国での失業後の(何のセーフティネットもない)再就職までの悲惨な状況を考えると,あまり明るい気分にはなれないのが正直な所感ではある.

Update 3-JUN-2014: おかげさまで無事再就職手当の支給を受けることができた.今後も仕事に精進していく所存である.

2014年4月24日

力武健次技術士事務所 開業のご案内

このたび2014年4月21日に,日本技術士会に技術士登録変更届出書を提出し,「力武健次技術士事務所」を個人事業として営む旨届け出ました.これに伴い,2014年4月24日に,豊能税務署と大阪府豊能府税事務所に,個人事業の開業届他関連書類を提出しました.この開業届の提出をもって,法的に正式に個人事業主としてのスタートを切りました.

開業といっても,やることは今までの技術者と研究者としての活動の延長であることには変わりありません.昨年2013年10月より6ヶ月強の間各種求職活動を行って来ましたが,諸事情勘案の結果,自分ができること,やりたいことをする上で,被雇用者ではない形を取るのが最善の道であろうという判断をしました.その上で,まずは個人としてスタートしようということで,自分の持つ技術士(情報工学部門)のライセンスを活かした形で始めることにしました.

もっとも,世間を賑わせている米国西海岸のスタートアップとは違い,開業に伴う華々しい話は一切ありません.当面の目標としては,まずは借金なしの経営をしつつ,社会に対して微力ながら自分の能力を役立てればと考えています.これは大変難しいことですが,始めた以上は覚悟をもって挑む所存です.

業務内容は情報工学全般,特に過去経験してきた情報セキュリティ,ネットワーク,Erlang/OTP,FreeBSD,モバイルの無線技術関連を主としつつ,これらにこだわることなく何でもやるつもりです.何かお役に立てること,お困りのことがありましたら,遠慮なくご相談ください.連絡の方法については以下のURLを参考にしていただければ幸いです.

力武健次技術士事務所のページ URL:http://rikitake.jp/ (2014年12月にURLを更新)

2014年4月2日

2007年1月の年頭所感より

ふと思い立って,自分の2007年の年頭所感を読み返してみた.面白かったので再掲する.

6年3ヶ月経過して実現できたのは

  • 音楽活動のほぼ完全停止
  • (アマチュア)無線活動の部分的停止(基本的に10月〜3月のみとし,4月〜9月は休業)
  • 外部条件により半ば強制的にカネの稼ぎ方を考え直させられている

…ぐらいでしかない.

人間というのは,恐ろしいほど変わらないものだということを,実感する.そして,今は2007年よりも,世界の状況はさらに悪化していることに,驚くばかりである.

(以下,2007年01月03日 10:44JST の mixi 日記より引用.「今年」という表現は,2007年のことであることに注意されたい.)

人生後半

2004年に親父を亡くして以来,人生後半なのだというのを強く意識するようになった.簡単にいえば,年寄りになったということである.つまり,糾弾する側から糾弾される側に,高齢化社会にとってはリソースを食いまくる迷惑な存在になったということだ.

そろそろ人生のいろいろな活動から撤退して死ぬための準備をしなければならなくなったことを痛切に感じる.

この20年は

  1. 言論の自由を阻止しようとする政府という悪との戦い
  2. あらゆる障壁のdeconstructionと徹底した国境開放
  3. コンテンツ売りでぼろ儲けしようとする連中との戦い

に明け暮れたような気がする.

もっとも,1.については

1.1 政府と役人自身があらゆる分野で責任を放棄するというもっとも凶悪な戦略を実行しているので,いったい誰が悪いのかということが見えなくなってしまった

1.2 私も含め「教師は憎むべき対象」「年寄りは害毒」という考え方が一定世代以下の人たちには十分に行き渡ったせいか,その無謬性を前提にした犯罪が増えてしまった

1.3 本当の悪は政府の裏についている国民全体(もちろん自分も含む)と,政府を裏で動かしているマフィア(圧力団体ともいう)達であることが次第に明らかになりつつある

という問題が見えてきてしまったので,昔ほど単純に主張できなくなってきている.また,自分がかつて敵対していた組織から,禄を食むことを余儀なくされているからかもしれない.好き嫌いや良し悪しだけでは仕事は選べないし,どんな組織の中にもうまくやっていける人間はいるので,簡単に敵味方の論理では語れなくなってきた.

2.については,日本は核攻撃されても国境を開かなかったのだから,私の生きている間には徹底開国は実現しないだろうと思う.もっとも,そうなる前に労働力不足で 移民の導入は必須だろうけど.そうなったらなったで生きていく覚悟はあるが,大半のdomesticatedされた(domesticでないことに注意)日本人にはつらかろうと思う.まあ,彼らがどうなろうと,私は私でやっていくしかないが.

3.については,率直な話コンテンツ産業にかかわればかかわるほど,空しくなってやる気が失せていくのが現実だろう.多くの創作行為が違法とされている中で,本当に面白いものは不法行為の中にしか残らないのではないかと思う.ならばその不法行為を合法化すればいいのだが,どうもコンテンツ産業のお化けたちは死ぬまで吸血鬼でいたいらしい.

一言で言えば,この20年間,無駄な戦いをやっていたなと思う.ヘタに正面切って戦うよりは,食うためのゲリラ戦に徹したほうがずっと良さそうだということに気がついた.原点に返ったともいえるのだが.

今年はとりあえず

  • a)音楽活動の一定分野にピリオドを打つ.今までやってきた活動との重複を避ける,残すのはDJとラップだけ
  • b)無線活動は極力縮小し,その分のエネルギーは電子工作技術の習得に回す(ハードウェア技術は飯のタネになるだろうから)
  • c)コンピュータを好きになってちゃんとコーディングと実験をしよう,仕事をしよう
  • d)人間関係としてのインターネットは極力縮小し,くだらない争いには首を突っ込まない
  • e)インターネットの前提にあるabstraction technologyの復習をする
  • f)カネの稼ぎ方を考え直す
  • g)面倒がらずに身体を立て直して世界中動き回る
  • h)自宅コンピュータシステムの縮小,アウトソース化

ぐらいのことはしたい.

…これだけ書けば,new year resolutionとしては十分だろう.

(以上で引用終わり)

2014年4月1日

父 力武 常次 最終講義資料の公開について

父 力武 常次が東京工業大学理学部応用物理学科教授として行った最終講義の資料を,本日 CC-BY-NC-SA 4.0 ライセンスにて公開しました.

本資料の公開にあたり,ご助言いただいた東京工業大学名誉教授の本蔵 義守先生に深く感謝致します.