2014年12月31日

2014年を振り返って

無職で始まった2014年だったが,気がつけばもう終わりを迎えようとしている.

2014年は本当に厳しい年だったが,幸運にも,4月に開業した技術士事務所は,十分とはいえないまでも,無収入という最悪の状態は避けられた.顧客の皆様ならびにご協力ご支援いただいた皆様には深く感謝する.2015年はより一層積極的に稼いでいきたい.

以下,順不同の箇条書きで主な成果を振り返ってみる.

  • 仕事として日英翻訳を行った.日本語や英語に関する理解を改めることができた.その過程でSphinxを使い, ReSTやLaTeXによる文書制作の技術の復習,そしてJavaやPHPのセキュアプログラミングの勉強をすることができた.文書制作者あるいは編集者としての視点を久々に取り戻すことができたように思う.
  • Erlang/OTPについてはErlang Factory SF Bay 2014での発表そしてErlang Foundation Certificate試験への合格と証明書の取得,「すごいErlangゆかいに学ぼう!」のレビューへの参加,国内での各種発表を行った.ずっと取り組んでいる疑似乱数については,Xorshift*/Xorshift+による実装を提案している.その他,concurrentなStar Trekゲームの実装を体験できている(未完なので充実させたい).
  • iPad元年: 妻に倣い,iPad mini Retinaを導入.iOSの良さと課題,どちらも触ってみることによって良く理解できた.多くの業務はタブレットで十分だと思えるようになっている.
  • Androidの復活とガラケーの終焉: 12月にASUS A500KLの日本版を導入.SIMフリーのスマートフォンが日本でも容易に買えるようになったのには隔世の感がある.そして10年使ったauからIIJmioへのMNPを果たし,ガラケーから脱却した.
  • Intel NUCベースのシステム構築: 自宅のFreeBSDサーバ2台はどちらもIntel NUCベースになった.小型で周辺機器も問題なく接続でき,ちょっとした実験ならば気兼ねなく試せるのはありがたい.
  • Windowsの専用機化: 青色申告のための会計ソフトやOfficeのアプリケーションなど,どうしてもWindowsでなければならないもの以外はすべて他の環境で済ませている.
  • ADS-Bの受信とフィード: 5月から7ヶ月間Raspberry PiとR820T dongleによる受信ならびにFlightradar24.comへのフィードを続け,ITM/UKB/KIXをまんべんなく常時カバーすることができたという点で一定の成果は上げた.Ras PiとRaspbianのよい勉強にもなった.また,クリスマスの日からは同社から貸与を受けた機材を使い,ADS-BとGPSアンテナを屋外に設置することで,より高精度な位置測定ができるようになっている.
  • Ingress: 12月中旬のAndroidの導入とともにIngressへ参入.Resistance/青のエージェントとして,実に人生初のMMORPGへの参加となった.PA01-ALPHA-00のCellにて,多くの先達と共に楽しい日々を送っている.もともと歩くのは好きなので,運動不足解消の良い理由になりそうだ.
  • 第一級陸上無線技術士の免許を3月に取得した.無線工学への理解を深める良いきっかけになった.これをきっかけに,IoTや無線を使った情報機器の相互接続に関するビジネスも手掛けていきたい.
  • 平成26年度秋期の情報処理技術者ネットワークスペシャリスト試験に合格した.勉強の過程で,アカデミックなTCP/IPの教科書から一歩踏み出した現場の技術を動かしている原理原則に触れられたのは大変新鮮であった.2015年は情報セキュリティスペシャリスト試験の合格を目指したい.

一方,捨てなければならないものも多くあった.いくつか列挙していこう.

  • アマチュア無線については,諸費用捻出のため,所有機材の半分強を売却し,100W出すために必要だった固定局を閉局した.それでも最低限の実験だけはできるようにしている.
  • この記事の公開,およびそれにまつわる一連のできごとを機に,DNSに関する研究活動とは一定の距離を置くことにした.この記事の内容について批判するつもりはない.事実の開示は重要なことだろう.DNSがインターネットの重要な構成要素であることに対する自分の認識にはまったく変わりはない.しかし,もはや自分が「老害」として批判されるようでは,今後自分の出る幕はないだろうと判断した.情報セキュリティという難しい事象について,どのような態度で向き合うべきかを再考するにはよいきっかけになったといえる.
  • 生活を引き締めている.スタートアップだから当然ともいえるが,それまでのサラリーマン時代のお金の使い方と比べると,かなり変わったことは事実である.

2015年はどんな年になるかは想像もつかないが,もはや夢や目標,あるいは地位や名誉というものから縁遠くなった以上,日々の生活と事業をどうやって進めていくかに集中していかなければならなくなることは確かだろう.どこまでやれるかはわからないが,やらないで考えるよりはやってから考える人生にしたい.

2014年12月26日

力武健次技術士事務所 2014年年末年始営業予定


力武健次技術士事務所は,2014年12月27日〜2015年1月4日の間は,休業と致します.(現在作業中の案件については,この休業期間中も,可能な限り迅速に対応させていただきます.)

どうぞ皆様もよい年末年始をお迎えください.

平成26年度秋期情報処理技術者 ネットワークスペシャリスト試験に合格致しました

このたび,2014年10月19日に行われた平成26年度秋期情報処理技術者試験にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が,ネットワークスペシャリスト試験に合格したことが2014年12月19日の結果発表にて判明しました.

力武は今年2014年に以下の3つの試験に合格したことになります.

  • 第一級陸上無線技術士(平成26年度1月期)
  • Erlang Foundation Certificate (3月のErlang Factory SF Bay Area 2014にて受験)
  • 情報処理技術者 ネットワークスペシャリスト試験 (平成26年度秋期)

これに驕らず,引き続き研鑽を続けていく所存です.

2014年12月8日

版管理+自動組版 研究会にて発表致しました

2014年12月6日に開催された版管理+自動組版 研究会にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が「図表の版管理,どうしてますか?」と称して発表致しました.発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.

2014年11月10日

jus研究会大阪大会 / 関西オープンフォーラム2014 にて発表致しました

2014年11月8日に関西オープンフォーラム2014にて開催された日本UNIXユーザ会(jus)研究会大阪大会にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が「Erlang/OTPに見るオープンソースのダイナミズム」と称して発表致しました.(本動画はjusのYouTubeチャンネルにリンクしています.)発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.

2014年10月26日

新規開業技術士支援研究会にて発表致しました

公益社団法人 日本技術士会登録 新規開業技術士支援研究会 の2014年10月4日の会合にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が「インターネット屋は独立開業できるか?」と称して発表致しました.発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.

2014年6月20日

祝「すごいErlangゆかいに学ぼう!」刊行

(Signature: by Fréd Hébert at Erlang Factory SF Bay Area 2014) (Text by Fréd: "À Kenji, l'une des personnes que j'ai le plus hâte de revoir à chaque conference" - "To Kenji: one of the people I most look forward to seeing at each conference" - 「どのカンファレンスでも一番会いたいと思う人々の一人,Kenjiへ」)

このたび,Learn You Some Erlang for Great Good!の日本語版がオーム社より「すごいErlangゆかいに学ぼう!」(リンクは日本のアマゾン,アフィリエイトはありません)として刊行される.かなり大変なプロジェクトだったと思うが,著者のFréd(敬称略),翻訳者の山口さん,編集者の方々,レビュアーの方々に深く敬意を表したい(私も微力ながらレビュアーとして参加させていただいた).

この本はとにかく内容が盛りだくさんで,原著者の情熱が伝わってくる文体になっている.教科書らしくはないが,Erlangについて必要なことは一通り網羅してある恐ろしい本である.情熱を量と質で証明するのは容易なことではないが,この本ではそれができている.若くて元気な人達が本を書いたり訳したりすると,ここまで元気になるのかという良い例である.その意味で,Armstrong御大のProgramming Erlang(第2版)とは,まったく別のアプローチの本ということができるだろう.(こちらの翻訳もオーム社より「プログラミングErlang」(第1版の翻訳)として出ている(第2版の翻訳を期待したい).)

これを機に日本でもErlang/OTPに触れる人達がますます増えることを願う.

2014年6月5日

電子情報通信学会 第26回ICSS研究会でErlang/OTPとセキュアプログラミングについて発表しました

電子情報通信学会 第26回ICSS研究会(神戸大学にて2014年6月5〜6日両日開催)にて,"Shared Nothing Secure Programming in Erlang/OTP" と題してErlang/OTPとセキュアプログラミングの関係について発表しました.発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.

詳細は研究会の開催プログラムをごらんください.

2014年5月21日

プログラミングを続けるには

プログラマといえるほどプログラミングをしていないし,できてもいない.その焦燥感が,プログラミングを止めていない最大の理由だろうか.

ともあれ,以下の記事に触発されたので,ちょっとだけ書いてみよう.

体力をつける

プログラミングは本当に精神力を使う.頭の中に非常に多くの事柄を記憶しておく必要があり,間断なく襲ってくる外部からの割り込みに耐えないといけない.記録と記憶の外部化については前述の記事群に述べられているので細かくは書かないが,実際に頭が良く回るようにするには,体力を使わないといけない.年齢が上になればなるほど,これは厳しくなってくる.だから,

  • 普通に食べる
  • 普通に身体を動かす
  • 無駄に体力を使わない
  • 良く寝る

というのは基本だと思う.

課題を常に持っておく

プログラミングも所詮は人間の行動の一部でしかない.毎日やるには,理由が必要だ.どんなことでもいいからやるべきことを持っておく.それが今日の生活の糧のためであってもよし,あるいは近未来の夢の実現のためでもよし.その課題を解決するために,プログラミングに取り組む.そういうことを実現できていれば,続くんじゃないだろうか.

他人の視線を感じるようにする

人間は本当に「ええかっこしい」な生き物だ.できなかったことの言い訳をすることが嫌な人にとっては,コミットの件数が目に見える形で出てくる,GitHubのContributionsリストなんかは最高の理由付けになるだろう.毎日1件でいいからコミットするか,新規issueを上げるだけで済むのは,簡単といえば簡単だが,これをpublic repositoryだけに絞ると,結構大変かもしれない.

それでも,コーディングができなくても,新規issueを上げる,あるいは課題を明確にして記録するのは,プログラミングの一部であると考えて良いだろうと思う.

生活の一部に組み込んでしまう

以前はGitHubはUS Pacific Timeで動いていたので,1日が切り替わる時刻(日本だと午後4時か午後5時)になると,プログラミングのことを考えるようになっていた.最近はローカルタイムで記録してくれるようになったので,寝る前,そして起きた後の誰にも邪魔されないであろう時間を,プログラミングにあてている.ちょっと時間を取るだけでyak shavingはできるし,そうでなくとも取り組むべき課題さえ整理できていればいろいろなことができるだろう.毎日やるというのは本当に大事だと思う.

どこでもできるようにしておく

MacBook Airを使うようになってから,ローカルにコーディング環境を持てるようになったので,どこでもある程度のプロトタイピングはできるようになった.別にOS Xでなくてもいいのだが,プロトタイピングの環境はすぐに使えるようにしておいたほうがいいだろう.それに,出先でちょっと時間が余りそうな時は,いつでも何かできるように,環境を持ち歩く習慣をつけることは大事だと思う.そのためには,環境整備を日頃から怠らないのが大事.

2014年4月28日

雇用保険受給を終えて

昨年2013年10月からの職安通いが,今日の再就職手当受給申請で,終わった.長い7ヶ月だった.

今時は労働局の出先機関である公共職業安定所のことは「ハローワーク」というらしいが,昔から「職安」(しょくあん)という略称があるので,それに従うことにする.居住地の最寄りの職安は大阪労働局の池田公共職業安定所であり,今回はこの職安に7ヶ月お世話になった.職員の方々は皆丁寧に応対してくださり,技術士事務所の開業に伴う諸手続の相談にも細かく答えていただいた.

職安に行った理由,そして失業認定の実情

一般に職安に行く理由は3つあって,(1)仕事探し,(2)雇用保険給付金受給資格の確認(通称「失業認定」),(3)雇用者としての各種手続き,というのが主なものだろう.人を雇う事業主ならば(3)が主な目的だろうが,私の場合は2013年9月末日の会社都合による離職の結果の失業,そしてそれに伴う雇用保険給付金の受給,つまり(2)が主たる理由だった.

今年で社会人になってから24年になるが,最初の仕事に就職した1990年4月から前職を離職した2013年9月までの23年6ヶ月の間,雇用保険については応分の負担をしていた.だから雇用保険給付金の受給にあたっては何の問題もなかった.

雇用保険給付金は非課税であるため,失業者にとっては貴重な収入源である.しかし,その財源は国庫金であり,当然のことながらその給付を受けるには厳しい審査がある.詳細は省略するが,基本的に雇用保険給付金の受給には通常4週間ごとに設定される「失業認定日」に「失業の状態にあることの確認」をする必要があり,そのために職安に出頭しなくてはならない.この間に再就職が決まったり,開業の準備を始めるなどの事実が発生すれば,その時点で受給資格を失う.また,働いたり無給の手伝いをした場合も,正確に申告しなければならない.これらを怠った場合は,不正受給とみなされ,受給資格の剥奪だけでなく,すでに受給した金額の3倍を返納しなければならず,刑事告訴の対象となることもある.

そして失業の状態であることを証明するには,会社都合の場合でも,4週間の間に最低2回「仕事探しの活動」を行う必要がある.(自己都合の場合はさらに条件が厳しくなるが詳細は省略する.)この活動には職安あるいは同等の機関(人材銀行,ハローワークプラザなど)に出向いて求人情報検索や職業相談を行うこと,職能に直接関係する国家試験の受験,求人への応募(面接)なども含まれる.私の場合も,失業認定期間中に求人に応募したり(詳細は守秘義務があるので控える),無線従事者国家試験の受験などいろいろな就職活動を行ったが,そう多く求人があるわけでもないので,かなりの時間を求人情報検索に費した.それでも残念ながら自分に合いそうな求人は見つからなかった.

まあ自分の年齢が当時48歳という高齢であったこと,そしてかなり特殊な職能という事情を考えれば,このような結果になったのは当然の帰結かもしれない.

求人検索の実情

求人情報といっても,北大阪の職安から検索できる求人のほとんどは,IT関連ならSEかプログラマで,どちらかといえば体力勝負の仕事がほとんどであったように思う.東京の求人も検索したりもしてみたが,北大阪ではまずJavaかC/C++の仕事しかなく,ごくたまにRubyの仕事が出てくるぐらいであった.インフラエンジニア系の仕事もないことはなかったが,決して多いとはいえなかったように思う.残念ながらPythonやErlang,FreeBSDというキーワードにお目にかかることはなかった.それでも北大阪は梅田や大阪市北部という比較的IT産業の集積している地域を含むため,全国的にみればまだマシな状況なのかもしれない.

まあ雇用主としては,あまりメンドクサイことを言わずに黙って働いてくれる労働者が欲しいのだろうと思う.職安に委託されるような求人の案件は,そういう意味ではごく平均的な日本のIT産業の縮図なのかもしれない.

職安で見る風景

離職後職安に最初に出頭すると,初回講習を受けることになる.この講習では,雇用保険給付金の受給に必要な各種条件と手続の概要,そして不正受給に関する罰則の詳細についての説明を受ける.この時私が驚いたのは,幼い子供を連れた女性の多さであった.職安には託児所がないため,講習を行う職員の方はかなり苦労されていたように思う.もっとも,本当に苦労していたのは,子供をあやしながら講習を受けなければならなかった女性達の方だろう.後で知人にこの話をしたら,母子家庭で生活のやりくりが大変なのだろうということだった.

ただ,雇用保険給付金受給のために職安に来ている人達には,極端な悲壮感は感じられない.さまざまな職業や年齢の人達が集まっているのは事実だが,皆普通の格好をして,普通の応対ができる人達ばかりである.言い換えれば,さらに厳しい状況にある人達は,雇用保険給付金の受給資格すら持っていないのであろうと推察せざるを得ない.そう思うと,慄然とせざるを得なかった.もっとも,そういう今の私も,自営業を開業しただけのことであって,雇用保険にかかる費用は納付しておらず,もう雇用保険給付金を受けることはできない.(再度雇用保険に加入している雇用主の下で就職して被雇用者になれば話は別だが.)

ともあれ,この7ヶ月間,自分の状況をいやがおうでも月に1度は認識させられたわけで,それだけでも実はかなり強力な「就職支援」制度になっているのではないかと思う.その意味で,自分は幸運だったのかもしれない.最近の日本でのブラック企業による雇用保険を含む社会保険に関する義務の不履行によって働いている社員も雇用保険の恩恵を受けられなくなる事態や,海外,特に米国での失業後の(何のセーフティネットもない)再就職までの悲惨な状況を考えると,あまり明るい気分にはなれないのが正直な所感ではある.

Update 3-JUN-2014: おかげさまで無事再就職手当の支給を受けることができた.今後も仕事に精進していく所存である.

2014年4月24日

力武健次技術士事務所 開業のご案内

このたび2014年4月21日に,日本技術士会に技術士登録変更届出書を提出し,「力武健次技術士事務所」を個人事業として営む旨届け出ました.これに伴い,2014年4月24日に,豊能税務署と大阪府豊能府税事務所に,個人事業の開業届他関連書類を提出しました.この開業届の提出をもって,法的に正式に個人事業主としてのスタートを切りました.

開業といっても,やることは今までの技術者と研究者としての活動の延長であることには変わりありません.昨年2013年10月より6ヶ月強の間各種求職活動を行って来ましたが,諸事情勘案の結果,自分ができること,やりたいことをする上で,被雇用者ではない形を取るのが最善の道であろうという判断をしました.その上で,まずは個人としてスタートしようということで,自分の持つ技術士(情報工学部門)のライセンスを活かした形で始めることにしました.

もっとも,世間を賑わせている米国西海岸のスタートアップとは違い,開業に伴う華々しい話は一切ありません.当面の目標としては,まずは借金なしの経営をしつつ,社会に対して微力ながら自分の能力を役立てればと考えています.これは大変難しいことですが,始めた以上は覚悟をもって挑む所存です.

業務内容は情報工学全般,特に過去経験してきた情報セキュリティ,ネットワーク,Erlang/OTP,FreeBSD,モバイルの無線技術関連を主としつつ,これらにこだわることなく何でもやるつもりです.何かお役に立てること,お困りのことがありましたら,遠慮なくご相談ください.連絡の方法については以下のURLを参考にしていただければ幸いです.

力武健次技術士事務所のページ URL:http://rikitake.jp/ (2014年12月にURLを更新)

2014年4月2日

2007年1月の年頭所感より

ふと思い立って,自分の2007年の年頭所感を読み返してみた.面白かったので再掲する.

6年3ヶ月経過して実現できたのは

  • 音楽活動のほぼ完全停止
  • (アマチュア)無線活動の部分的停止(基本的に10月〜3月のみとし,4月〜9月は休業)
  • 外部条件により半ば強制的にカネの稼ぎ方を考え直させられている

…ぐらいでしかない.

人間というのは,恐ろしいほど変わらないものだということを,実感する.そして,今は2007年よりも,世界の状況はさらに悪化していることに,驚くばかりである.

(以下,2007年01月03日 10:44JST の mixi 日記より引用.「今年」という表現は,2007年のことであることに注意されたい.)

人生後半

2004年に親父を亡くして以来,人生後半なのだというのを強く意識するようになった.簡単にいえば,年寄りになったということである.つまり,糾弾する側から糾弾される側に,高齢化社会にとってはリソースを食いまくる迷惑な存在になったということだ.

そろそろ人生のいろいろな活動から撤退して死ぬための準備をしなければならなくなったことを痛切に感じる.

この20年は

  1. 言論の自由を阻止しようとする政府という悪との戦い
  2. あらゆる障壁のdeconstructionと徹底した国境開放
  3. コンテンツ売りでぼろ儲けしようとする連中との戦い

に明け暮れたような気がする.

もっとも,1.については

1.1 政府と役人自身があらゆる分野で責任を放棄するというもっとも凶悪な戦略を実行しているので,いったい誰が悪いのかということが見えなくなってしまった

1.2 私も含め「教師は憎むべき対象」「年寄りは害毒」という考え方が一定世代以下の人たちには十分に行き渡ったせいか,その無謬性を前提にした犯罪が増えてしまった

1.3 本当の悪は政府の裏についている国民全体(もちろん自分も含む)と,政府を裏で動かしているマフィア(圧力団体ともいう)達であることが次第に明らかになりつつある

という問題が見えてきてしまったので,昔ほど単純に主張できなくなってきている.また,自分がかつて敵対していた組織から,禄を食むことを余儀なくされているからかもしれない.好き嫌いや良し悪しだけでは仕事は選べないし,どんな組織の中にもうまくやっていける人間はいるので,簡単に敵味方の論理では語れなくなってきた.

2.については,日本は核攻撃されても国境を開かなかったのだから,私の生きている間には徹底開国は実現しないだろうと思う.もっとも,そうなる前に労働力不足で 移民の導入は必須だろうけど.そうなったらなったで生きていく覚悟はあるが,大半のdomesticatedされた(domesticでないことに注意)日本人にはつらかろうと思う.まあ,彼らがどうなろうと,私は私でやっていくしかないが.

3.については,率直な話コンテンツ産業にかかわればかかわるほど,空しくなってやる気が失せていくのが現実だろう.多くの創作行為が違法とされている中で,本当に面白いものは不法行為の中にしか残らないのではないかと思う.ならばその不法行為を合法化すればいいのだが,どうもコンテンツ産業のお化けたちは死ぬまで吸血鬼でいたいらしい.

一言で言えば,この20年間,無駄な戦いをやっていたなと思う.ヘタに正面切って戦うよりは,食うためのゲリラ戦に徹したほうがずっと良さそうだということに気がついた.原点に返ったともいえるのだが.

今年はとりあえず

  • a)音楽活動の一定分野にピリオドを打つ.今までやってきた活動との重複を避ける,残すのはDJとラップだけ
  • b)無線活動は極力縮小し,その分のエネルギーは電子工作技術の習得に回す(ハードウェア技術は飯のタネになるだろうから)
  • c)コンピュータを好きになってちゃんとコーディングと実験をしよう,仕事をしよう
  • d)人間関係としてのインターネットは極力縮小し,くだらない争いには首を突っ込まない
  • e)インターネットの前提にあるabstraction technologyの復習をする
  • f)カネの稼ぎ方を考え直す
  • g)面倒がらずに身体を立て直して世界中動き回る
  • h)自宅コンピュータシステムの縮小,アウトソース化

ぐらいのことはしたい.

…これだけ書けば,new year resolutionとしては十分だろう.

(以上で引用終わり)

2014年4月1日

父 力武 常次 最終講義資料の公開について

父 力武 常次が東京工業大学理学部応用物理学科教授として行った最終講義の資料を,本日 CC-BY-NC-SA 4.0 ライセンスにて公開しました.

本資料の公開にあたり,ご助言いただいた東京工業大学名誉教授の本蔵 義守先生に深く感謝致します.

2014年3月17日

第一級陸上無線技術士試験受験記

(All image files in this blog article are edited by Kenji Rikitake)

この1月(平成26年1月期)に第一級陸上無線技術士(一陸技)の国家試験を受験した.その時の受験記を書いておく.幸い試験には合格し,すでに無線従事者免許証の交付も受けているが,この試験はおよそ簡単なものではなかったということだけは最初に強調しておきたい.

受験の理由

受験を決意したのは昨年2013年の10月だった.退職勧奨というやむを得ない事情で退職したこともあり,どうにかしてもっと手に職をつけなければという焦りの気持が理由の一つだったことは事実だ.そして,ただのインターネット屋だけでは食っていけなくなるだろうという予想は2008年ごろからしていて,その時からプロの無線(業務無線)の資格が欲しいとは思っていた.2009年に,さる勉強会で無線の話をしたこともあったからだ.

しかし,無線局の操作は無線従事者の資格がなければ行うことはできない以上,プロの資格なしでは商売にはできない.そして資格を取るなら自分の実力で可能な最強かつ最高の資格でなければならない.趣味の分野とはいえ,このことは第一級アマチュア無線技士(一アマ)を受験した時に実感したことである.一アマを取ってからは,誰も私に文句をつけてくることはなくなったからだ.

なぜ一陸技を選んだか

日本でのプロの無線の資格にはいくつかの選択肢がある.大きく分けると,「技術操作」と「通信操作」という選択肢がある.

「技術操作」とは,通信そのものを行うのではなく,通信に係る機器の調整などを行うことができるという意味である.平たくいえば,無線機やアンテナの設計や調整,通信操作以外の運用ができる資格である.技術操作の仕事はまさに技術者の仕事以外の何物でもない.(米国FCCのCommercial Radio Operatorの資格では, "Radio Maintenance and Repair" という表現をしているようだ.なお,私は米国で労働する権利をこの原稿の執筆時点では持たないため,この米国資格を得るための受験資格はない.)

一方,「通信操作」とは,音声などで相手とやり取りをする操作だが,プロの無線では基本的に操作者の意思で伝達内容が決まることはむしろまれであり,操作者は第三者からの依頼電文を正確に伝えることが要求される.その意味で通信操作は一種の特殊技能であり,純粋な技術者の仕事とは一線を画しているといえるだろう.

(日本ではプロの無線の資格でもアマチュア無線局の通信操作を行うことができるが,国際的にこのような制度が一般的なわけではない.たとえば米国ではプロの無線の資格とアマチュア無線の資格は厳格に分かれており,兼ねることはできない.)

通信操作を主にした資格の最高峰であるとされる第一級総合無線通信士(一総通)には,私が結局覚えることのできなかった和文モールス符号の送受信試験があり,まず受験は無理だろうと決めた.日本のプロならば他人の和文電報を扱えるだけの技量を必要とするのは当然であり,残念ながら私にその実力はない.アマチュア無線の必須技能である欧文普通話(=普通の英語の文章)のモールス符号ですら,まともに受信して記録することはおぼつかないのだから.

一方,技術操作を主にした資格の最高峰である一陸技は,放送局などを含むすべての無線局(ただしアマチュア無線局については第四級の操作範囲のみ)の技術操作が行える.一総通は第二級陸上無線技術士(二陸技)と同等とみなされるが,二陸技では2kWを越える放送局の送信所のような大電力の操作はできない.一陸技にはその制限がない.その意味で無線工学(=電子工学+無線システム+アンテナ工学)の業務試験としては,日本では最高の資格の一つであるということがいえる.また,一陸技は無線工学(3科目ある)と法規(電波法の基本的概念と技術関連項目)のみが必須科目であり,そういう意味では比較的勉強しやすい試験であるとも言える.

受験勉強の準備と目標

一陸技の受験勉強には,まずは過去問集,それから各科目の参考書を1冊ずつ用意した.もっとも,実際に手をつけられたのは,諸般の事情により試験日の一週間前からであった.参考書は以下の通りである.

この上記5冊の参考書の大半は同一人物が著者であり,そういう意味では内容に多少の偏りは否めない.もっとも,過去に電子工作の経験や知識があれば,ついていける内容が大半である.言い換えれば,そういう経験のない人が,ひたすら過去問を暗記して受けるというのは,無理かもしれない.マークシート式の試験とはいえ,実際にはかなりの筆算をしなければ正解は出てこないからだ.

現実の試験は4択のマークシート式試験で,2日にわたって行われる.無線工学3科目は各科目ごとに試験時間が2時間半,それぞれ5点の問題が20問,1点×5項目の問題が5問,計25問125点で採点され,75点(6割)を取らないと合格にならない.法規は試験時間が2時間,5点の問題が15問,1点×5項目の問題が5問,計20問100点で採点され,60点(6割)を取らないと合格しない.免許は4科目すべて合格しないと与えられないが,各科目の合格結果は試験のあった次の月から3年間有効であるため,複数回の受験で免許を取得する人も多い.私の場合は幸いにして4科目全部一度で合格することができた.

勉強の内容

無線工学は「無線工学の基礎」(電磁気学と電子工学,回路理論),「無線工学A」(無線機の構成や変調方式など無線システム全般),「無線工学B」(電磁方程式から伝送線路,電波伝搬を含むアンテナシステム全般)の3つに分かれる.これらの中で最も厳しかったのは,実は「無線工学の基礎」であった.

「無線工学の基礎」では,試験範囲はマックスウェル方程式や電磁誘導,コンデンサの原理といった大学の電磁気学で学ぶ基本的なことから,BJT/FETを使った増幅回路,さらにはデジタル回路の基本であるブール代数に関する問題まで,広範囲な問題に対応できることが必要になる.そのためには,四端子回路(特にhパラメータ/sパラメータ)や,デルタ-スター変換などの,比較的高度な技術が必要になってくる.指数対数(複素係数を含む)と三角関数の和差公式は普通に使えないといけない.

「無線工学A」では,無線機の基礎構成,AM/FM/SSB変調方式,ビット伝送の基本であるBPSKやQPSK,レーダ,電波航法(VOR/GPSなど),衛星通信システム,地上デジタル放送(私が受けた試験では過去問にないOFDMの帯域分割パラメータの詳細に関する問題が出た),電源,雑音指数,無線機の性能測定など,広い範囲の問題が出る.

「無線工学B」では,電波伝搬の視点から見たマックスウェル方程式,アンテナの電流分布や電波放射,空間の伝送損失などを定量的に計算するための伝達公式,八木=宇田アンテナから導波管を使ったスロットアンテナに至る各種周波数の各種アンテナ,分布定数回路と導波管,伝送線路のインピーダンスと整合,地表波から電離層伝搬までの電波伝搬全般,そしてアンテナ系の測定まで,これまた広い範囲の問題が出る.

これらの無線工学3科目に関する問題を解けるようになるには,実際に各種技術がどんな場面でどのように使われているかを想像し,その上で必要な計算を行っていくという幅広い知識が必要になる.

また,「法規」では,電波法の基本原則から無線設備規則に定められた各種技術基準,無線局の運用,無線従事者の義務,そして罰則まで,広範囲な知識が要求される.こちらは自然法則ではなく人間の決めた規則であり,無線工学の科目に比べて丸暗記のセンスが要求される科目でもある.

勉強の方法

学問に王道はないとはよく言ったものだが,この試験はなにしろ範囲が広すぎるため,率直に言って過去問を解きながら背景の考え方を覚えていくしかない.結局自分ができたことは,1日1科目ごとに過去問と参考書を総ナメすることを4日間続け,残り2日で4科目を再学習することだけであった.もちろんその合間に多くの関連書で内容を確認し,一部の問題では手計算を行うということもしたが,ひたすら丸暗記するとかそういったことはしなかった.

関連書として便利だった書籍を紹介しておく.

試験当日

試験会場は大阪市内の扇町近くにある関西テレビ電気専門学校であった.この会場は周辺に食事を摂れる場所がないのと,建物が古く和式トイレしかないため,長時間の滞在には苦痛を伴う.2002年12月に一アマの試験を受けたときは,当時はまだ毎分60字の欧文モールス符号を2分間筆記受信するという電気通信術の科目もあって,かなり身体的には堪えた.今回の試験は電気通信術の科目はないものの,2日間午前午後フルに戦わなければならなかったため,体調の管理には万全を期した.

試験は科目ごとに途中退場することができるが,実際にかかった時間は次の通りであった.

  • 1日目午前: 無線工学の基礎: 150分全部
  • 1日目午後: 法規: 60分
  • 2日目午前: 無線工学A: 90分
  • 2日目午後: 無線工学B: 120分

それだけ「無線工学の基礎」は厳しい科目だったといえる.実際の成績は次の通りであった.(この結果については,自己採点と日本無線協会に試験結果発表後請求した成績通知書との内容は一致している.)

  • 無線工学の基礎: 85/125
  • 法規: 81/100
  • 無線工学A: 109/125
  • 無線工学B: 96/125

無線工学の3科目については,時間のかかった科目ほど成績が悪くなっているというのが印象的である.つまり,理解が浅い科目ほど,時間ばかりかかってしまっている.

試験結果の発表

試験結果の発表は2月13日に日本無線協会のWebサーバ上で速報され,その翌日には結果通知書が届き,無事合格であることを確認した.すぐに近畿総合通信局に免許申請を行い,3月10日付で無線従事者免許証が交付された.

受験後の所感

一陸技を持っていたからといって今すぐに何かできるわけではない.プロの無線の中でも特に需要の多い携帯電話の基地局に関する業務は,下位資格の第一級陸上特殊無線技士(一陸特)で済んでしまうことが多い.(一陸技は一陸特の操作範囲をすべて含む.)それに,資格があったからといって,実務経験がなければ就職がすぐにできるわけでもない.

それでも,一陸技と一アマという2つの資格を持ったことで,事実上日本でのすべての無線局の技術操作をしてもよいことになったというのは,電子工学や無線技術の習得と普及をライフワークの一つとしてきた者としては嬉しい以外の何物でもない.

最近はInternet of Things (IoT)といって,何でもインターネットにつなげようという動きとそのための技術開発が盛んだ.無線技術はIoTの根幹技術の一部を成しており,これからますます重要になってくるだろう.IoTのほとんどは個別免許不要の無線機器(無線LAN, BlueTooth, 3G/LTE/WiMAXなど)の使用を前提としているが,これらの機器の通信到達範囲は限られており,本格的な問題解決には免許の必要な無線局を使わなければならなくなることは間違いない.その時に,一陸技の資格を役に立てることができるだろうと個人的には考えている.

自分が今求職中という厳しい身分であることは十分承知の上だが,それでも新しいことに挑戦していくことは重要かつ今後の人生を切り開く上で不可欠であると実感できたのが,この受験による最大の収穫といえるだろう.