2013年9月30日

Bashoジャパンを退職します

このたび,Bashoジャパンを2013年9月30日にて退職することとなりました.

在職中お世話になったBasho Technologiesの皆様,特にBashoジャパン株式会社の方々には,深く感謝します.彼等のチームの一員となったことは忘れられない経験となるでしょう.

Basho参加以前からそうであったように,退職後も引き続きRiakとErlang/OTPを私は支援していきます.

今後のことは未定ですが,引き続きコンピュータ,そしてインターネットの開発者/運用者のプロフェッショナルコミュニティの一員としてかかわっていくでしょう.いろいろな困難が待ち受けているかと思いますが,受けて立つ所存です.

在職中ご支援いただいた方々に改めて御礼申し上げます.

2013年9月9日

ドイツ雑感 その1

(写真: http://www.flickr.com/photos/spablab/172302861/, photo taken in 1988 before the Berlin Wall was fallen, licensed CC-BY, edited by Kenji Rikitake)

諸般の事情により,ドイツに滞在している.人生について考える機会が欲しかったのと,ロンドンでErlangの話をしてくるという仕事もするという,欲張りな旅である.

最初の街はBremenだった.「ブレーメンの音楽隊」で有名な場所だ.妻の知人が近隣のOldenburg(オルデンブルク)におり,彼等を表敬訪問するのも旅の目的の1つだった.ブレーメンもオルデンブルクも人口はそれほど多くなく,日本の感覚では大都会とはいえない.ただ,市電から市内中心部のAltstadtへのアクセスは良く,物資の調達に何度か行った.ブレーメンは北ドイツに属し,その文化は北欧に近い.地名も食べ物も,昨年行ったデンマークのコペンハーゲンに割と似ている.街並みは,1970年代の米国滞在の時の経験を彷彿とさせる,ゆったりしたものだった.そういえば1974年のBoulder, CO, USAは,こんな感じだったなあ,という記憶がよみがえってきた.

そして今はBerlinにいる.写真は冷戦終了前のBrandenburger Tor(ブランデンブルク門)を西側から見た写真だ.今はもう壁はない.私もUnter den Linden通りにある門の下をくぐり,Friedrichstraße (フリードリヒ通り)まで歩いた.誰にも尋問されず,逮捕されることもなかった.なぜこんなことに感慨を覚えるかといえば,冷戦時代を知っているからだろう.フリードリヒ通りの前にはロシア大使館があった.これは昔はソ連大使館だったのだろうか.もっとも,すでに東西ドイツ統一から23年近くが経過している今,ベルリンは普通の街である.ただ,旧東ベルリンは,未だ復興中の感がある.

ベルリンでは,どこで買い物するか,どうやって移動するか(U-bahnという地下鉄が主,観光には2階建のバスも悪くない),物の値段,インターネットアクセス(後述するが良い環境とはいえない),その他の基本的な生活に必要なことから覚えていっている.日本帰国までの間は,ベルリンを拠点にして,一度ロンドンまで往復する予定なので,できるだけこの街には親しんでおきたいというのもある.IFAという家電の国際展示会にぶつかったようで,滞在しているホテルには韓国の人達が多かった.ついでに私もIFAに2時間弱だけ行ってきたが,その印象については稿を改めたい.

ベルリンに来るまでは,各所を長距離鉄道(DB)で移動した.安全と快適さ優先で一等車(1. Klasse)を使ったが,日本でいえばさしずめJRの特急という感じの乗り心地である.どの街にもHauptbarnhof (Hbf,中央駅)があり,交通の要衝になっている.Bremen Hbf - Oldenburg Hbf は40分ぐらい片道でかかる.一方, Bremen Hbf - Hamburg Hbf - Berlin Hbf の間の移動は,かなりの長距離であったにもかかわらず,都合3時間強で済んだ.ハンブルクの中央駅では一度妻の分を含めてスーツケースを多数下ろして,次の電車に駆け込むという離れ業をやった.ちょうとJR西日本でいえば,大阪駅か京都駅の雰囲気である.おかげで筋肉痛になったが….

以下は雑感である.

ドイツでは英語はあくまで外国語,表示は全部ドイツ語だけ

その昔カナダ・ケベックのモントリオールでは,商品の表示は英仏両方がほとんどだったものの,街の表示はフランス語しかなく,かなり大変だった.しかし,ドイツではケベックよりもさらにドイツ語以外での表示は少ない.ブレーメンもベルリンも,基本的に街の表示は全部ドイツ語である.例えば「火災時はエレベータに乗るな」というのは „Aufzug im Brandfall nicht benutzen“ としか書かれていない.あえて各単語の意味は書かないが,英語からはまったく想像がつかない.それに,仮に英語表示があったとしても,その多くはドイツ語から単語を置き換えただけのモノであり,読んでいてよくわからなくなってしまうことも多々ある(ドイツ語ではどのように言うのかを知っていれば問題は起きないが).つまり,英語だけ知っていても街を歩くには全く役に立たないのがドイツ連邦共和国の実情である.もちろん,街の人達,特に若い人達は日本とは違って簡単な英語での交渉事には応じてくれるし,その意味では日本よりもずっと親切だといえるが,とにもかくにもドイツの公用語はドイツ語だけであり,その他の言語は公用語ではない.ケータイのプリペイドSIMカードを使うにも,ドイツ語の知識は必須である.開通時のSMSは英語では送られて来ないからだ. この旅行がドイツ語を第2言語として縦横無尽にあやつる妻と同伴でなかったら,大変困ったに違いない.

ドイツのモバイルインターネットはかなり悲惨

ベルリンはドイツの首都である.そのベルリンでさえ,インターネットを使うにあたっては,ホテルの回線が良くないと相当苦しむことになる.ドイツのケータイは未だ多くがGSMベースであり,その上のデータ通信であるEDGEに対応した端末が必要である.しかも鉄道の中では,路線によっては無線LAN(有料)を提供しているものもあるが,基本的には使える帯域は非常に小さい.Twitterぐらいしかできないと思ったほうがいいかもしれない.日本から3G/LTEルータを持っていき,T-Mobileのデータ用SIMカードを挿して使おうとすると,場所によっては3Gにアクセスできず,使用不能になることさえある.ブレーメンでも基本的な事情は同じである.日本の極楽なモバイル環境を当たり前だと思うと,泣きを見ることになるのは確実である.

他のことについてもいずれまた書きたいと思うが,まずはここまで.