2013年5月15日

シンセもCDJもドラムマシンも手放した

先日,ギターに引き続いて,シンセもCDJプレーヤーも,そしてドラムマシンも手放した.どれも愛着のある機械であり,性能も良いのだが,結局使い切れなかったというのが本音である.一切の楽器を手放したのは,実に1978年から数えて35年ぶりである.もっとも,最近のコンピュータはソフトウェア楽器にすぐなってしまうので,これはあまり意味のないことかもしれないが.手放した機材のうち,CDJ-800とMicroKORGは,どちらも実際のレコーディングで大活躍してくれた.幸い状態も良く,次のオーナーには十分活用してもらえるだろう.

この写真は2007年の夏に撮ったものだ.2013年5月現在,いまだにSoma FMで使ってもらっている.DJのフリをするのは,この写真の通り私にもできる.ただ,本格的にビート合わせとかスクラッチでやろうとすると,非常に高い技術を身体に覚え込まさないといけない.そこまでの努力は私にはできなかった.キーボードも両手ではまともに弾けないし,ギターも速弾きができるわけではない.どれも中途半端だったように思う.

音楽演奏はすてきな活動だと思う.ただ,昨今の技術の進歩は,素人が安易に音楽を作れないほど楽器の性能を上げてしまった.作り込まれた作品に価値がないとはいわないが,パフォーマンスの要素を欠いた音楽には,もはや商業的価値すらないだろう.ライブのできない人に,ミュージシャンを名乗る資格はないと思う.そんなわけで,すでに作曲からは2007年の夏に手を引いたのだが,演奏にはまだ未練があった.しかし,過去21年間にレコーディングした回数が10回に満たないという事実を直視すれば,自分にはもはや音楽演奏の道を追求する資格はないように思う.

実は音響編集のための機材は,まだ手元に置いている.ちょっとしたプレゼン用のビデオぐらいは作れるようにしておきたいからだ.趣味としてのラジオ/無線にも使えるからでもある.作り込むことを追求する楽しみは,まだ持っておきたい.

2013年5月4日

ギターを手放した

先日ギターを手放した.すでに改造を加えていて,しかも何年も弦を張り替えていないものだ.ここ数年まともに弾いたのは,クリスマスの時だけである.リサイクル屋でギターを個別に引き取ってくれるところがあったので,送った.ピックや弦を巻く装置,専用の弦カッターなども全部手放した.

実は手放したギターはこれで3台目になる.1台目の1978年に買ったYAMAHAのフォークギターは,21世紀になる前に廃棄処分にした.2台目の1980年に買ったレスポール型の日本製(ARIA PRO II)のギターは,大阪に1992年に移り住む前に,今ならとんでもない高値が付くであろうBOSSのOD-1と一緒に知人に譲った.

今回手放したのは2001年に買ったフェルナンデスのZO-3である.内蔵のアンプは外して,1石FETのプリアンプを組み込んだ.当時は高輝度LEDが世の中に出回り始めたころで,象の目にあたるところは緑色に輝くようにしてある.

手放した理由は簡単だ.ろくに練習もしていないし,もはや左手でビリ付きなく弦が押さえられなくなっているからだ.こんな状態では,まともに他人に聞かせられるような演奏はできない.

1982〜1983年の高校生のころは受験そっちのけでキーボードもギターもヘタながらに自己流で一生懸命弾いていたけれど,そのころの演奏能力が実は自分にとってはピークだったのだと,最近思い知らされている.最後に多重録音をやったのは2007年だが,その時はリズムも運指もガタガタのフレーズを全部ループにして編集しているので,まともに演奏していたとはとてもいえない.

音楽は身体性そのものが問われる芸術である.演奏は特にそうだ.よほど普段から練習していなければ,まともなものはできない.そして音楽に限らず,あらゆる創作行為は,すべて真剣勝負で身体に覚え込まさなければ一流にはなれないのが非情な現実だ.

プログラミングの現場に戻って,自分が如何にナマケテいたかを思い知らされている.自分が楽器を止めても誰も困らないだろうが,コーディングでいいかげんなことをしたら,タダでは済まされない.

そんなこともあって,ギターを手放した.まだシンセやドラムマシンは残っているが,これらに触れる時間は,当分来ないだろう.