2011年2月3日

希望と現実

かつて,インターネットは,希望だった.国境を越え,封鎖的社会を開放し,閉じた世界のドアをこじ開けてその中身を明らかにするものだった.私のようなマイノリティにとっては,世界の中の自分の位置を変える,ほぼ唯一の希望だった.1985年に日本で通信回線が開放され,コンピュータがつながり始めた時,これを進めていけば世界を変えられると信じて,仕事にした.

そして,インターネットは,現実になった.水道や電気,ガス同様,もはや生活には不可欠のものになった.夢は現実になった.もはや夢ではなくなった.

今,インターネットは,既存の支配勢力に対し,明らかに脅威となっている.2011年1月27日にエジプトで起きたネットワーク経路の大規模な遮断は,ある意味で象徴的といえる.何らかの形でネットワークを検閲している集団の数はもはや数えきれないだろう.それは自由に対する挑戦であると同時に,過去25年に得たインターネットの力の証明でもある.検閲を続けても流れを止めることはできない.すでにインターネットは,政府対テロリスト,という図式そのものを引っくり返しつつあるのだから.仮に政府がインターネット接続を止めた場合,その政府の正統性が疑われる状況が生まれてしまうといっても過言ではない.

もちろん,インターネットが今のままでいられるとは全く思っていない.IPv4アドレスはもうなくなる.我々は新しい人達をIPv6に迎え入れ,引き続き開かれた広域ネットワークを,今度は1つではなくIPv4とIPv6の2つ,運用することを日常にできるだろうか.そもそもドメイン名に人間が署名をし続けることができるのか.爆発しつづける経路数を処理できるルータは作れるのか.その裏でせめぎあう権力をまとめることはできるのだろうか.課題は山積するばかりだ.

それでも私は,2008年から,新しい希望と現実を見据える作業にかかっている.日々の運用業務という現実に取り組みつつ,より高度な抽象と捨象で日々の問題を解決できるだろうという希望を持って.Erlang/OTPは,その抽象と捨象の手段の1つに他ならない.