2001年3月21日

情報技術者の定義

(初出: Kenji Rikitake's Cyberscope: 21-MAR-2001)
  • 情報技術者が技術者たる所以は、ソフトウェアやハードウェアを、必要に応じてチューンアップできる能力を持っているからだ。この能力のない人達は、技術者と呼ぶには値しない。
  • プロは言語やOSは選べない。好き嫌いはあっても、与えられた環境で文句を言わず仕事をするのがプロである。Windowsは嫌いだ、メインフレームは嫌いだ、と言っているような人達はプロではない。
  • WYSIWYGは誤謬を招く。完全なWYSIWYGは存在しないからだ。だからWYSIWYGのプログラムによる成果を盲目的に信用してはならない。
  • WYSIWYG以前の問題: 常に演算結果と、その理論的整合性には注意を払うべきである。誤差解析のできない技術者はプロではない。
  • コンピュータの起源は、アングロサクソン文化にある。(ラテン文化ではない。ましてや、アジアやアラブ、アフリカの文化ではない。) 世界最初に計算量理論と自動機械の理論を打ち立てたのは John von Neumann と Alan Turing である。 von Neumann はハンガリーの出身だが、彼はアメリカ合衆国に尽し、その世界戦略に大きな影響を与えた。故に彼は(過去ドイツなどにいたことは無視できないが)アメリカ人として評価すべきである。 Alan Turing は英国人である。この両者の業績に比べれば、他の人々の業績は取るに足らない。
  • インターネットもコンピュータと同様アングロサクソン文化の産物であり、その文物である。社会のインターネット化を支持することは、本質的にアングロサクソン文化の一側面を支持していることに他ならない。フランスやイスラム諸国が現在の情報技術の主流に対して異議を示していることは当然の帰結である。しかし、彼等は本流にはなり得ない。
  • コンピュータ技術は本質的にアングロサクソン文化の継承物であるため、基本的にその中心言語は英語となる。故に国際化(internationalization)は、問題解決の上での最優先事項にはならない。国際化は、各国の技術者の紛争と権力闘争の結果として、最終的に実現されるものである。始めに国際化ありき、では、現実の技術者同士での意見交換は不可能である。
  • 技術者の集団は元々閉鎖的なものである。開発者の仲間に入らずして、外部から批判だけしていても、願望は実現されない。故に、英語中心の開発者の集団で意見を通すためには、その意見は英語で話されるべきである。
  • コンピュータが世界各国の言語を処理できるようになるべきだという主張が、現在のコンピュータで仕事をしなくても良い理由にはならない。これを理解していない人は、情報技術のプロにはなれない。
  • 英語のできない人は情報技術者の資格はない。言い換えれば、情報技術のプロの中に、英語を正しく解釈できない人はいない。発音は酷いかもしれないが。
  • 思考を言語化できない人は、技術者としての適性に欠ける。
  • 技術者として独立したいなら、言語表現の能力も技術の一つであると悟り、修練を積む必要がある。
  • 2000年問題を過去のプログラマの狭量さのせいだと決めつけるだけの人に、情報技術の本質を論じる資格はない。(意味: 1970年代のコンピュータの主記憶容量と、それで行っていた仕事に最低限必要な情報量を考えてみよ。)
  • 技術力の行使は、それ自身武力の行使と同様の意味を持つ。故にその無制限な利用は厳しく戒められなければならない。言い換えれば、それだけの倫理的な規準を持たない人物は、情報技術のプロと呼ぶに値しない。
  • 技術を持たない者は、技術を持つ者に対し、本質的に劣位に立っていることを自覚すべきである。他の運動能力や問題解決能力、あるいは芸術的表現能力同様、技術力は特殊能力であり、人類全部に自然に備わっているものではない。
  • 技術者は技術力を持ってその思想を証明しなければならない。思想なき技術は存在しない。技術力の裏づけなくして、技術者としての思想は証明できない。
  • 技術者としての問題解決能力の高さと、人柄の良さは、全く相互に無関係な問題である。前者で後者を評価してはならない。また、後者で前者を評価することもしてはならない。
  • 基礎技術の開発は片手間でできるようなものではない。末端の応用技術の開発ができたからといって、その技術者に基礎技術の開発への適性があるわけではない。
  • プロは自分で道具を揃える。道具を自費で賄うのは当然のことであり、他のスポンサーに頼ることは極力慎まねばならない。
  • 自分が発明したと思えることの大部分は、すでに発明されているか、無意識のうちにコピーしたものである。既存の技術を使い問題解決を行うことと、既存の技術をあたかも自分が発明したかのごとく偽装することは厳密に区別されなければならない。
[End of Memorandum]